対局中継と普及

現代のインターネットにかかるインフラが整えられたおかげで、片田舎にいても、世界の向こう側でもリアルタイムで対局の中継を見られるようになりました。
私のような将棋馬鹿には嬉しい限りです。見えないところで努力されている関係者の方々、柿木さんをはじめとした中継ソフトを作りサーバーを維持管理されている方々に特に感謝したいと思います。
それでここで書きとめておきたいのは対局中継の改善案です。
将棋は羽生善治でも7割しか勝てないほど深く難しいから面白いのだと私は思います。つまり逆に言うと中継をされても、棋譜を見ただけでは有段者の末席を汚している程度の棋力の私にはほとんどわからないのです。詳細な解説がついてようやく価値がわかるのです。
私には対局者名が伏せられた棋譜を見て、それが誰が指したものかわかりません。羽生善治が指したのか、トップアマが指したのか、全く区別がつかないでしょう。ともすると自分よりほんの少しだけ上の棋力の人と、羽生善治と区別がつかないかもしれません。
さて、それを踏まえて、駒の動かし方がようやくわかるぐらいの初心者は中継で何を楽しめばよいのでしょうか。対局者名? 対局風景? 結果? おやつ? おそらく解説を聞いても理解できないということもあるでしょう。するとせっかく素晴らしい中継がなされても見るのは有段者以上の将棋馬鹿だけということになる。
それでいいのでしょうか。それを望んでいるのでしょうか。

野球やサッカーなどはスコアを見れば初心者でも一目瞭然でどちらが勝っているかわかる。何点離れているかで勝ちそうとか負けそうとか思うことができる。将棋はそう簡単にどっちが有利かわからない。確かにそうでしょう。リードしたからって勝ちに結びつかないことも多い。将棋は複雑だが、野球だってサッカーだって非常に複雑です。いついかなるときからでも逆転しうるゲームです。もちろん議論の余地があることは認めますが、この部分について議論を深めることは今はやめておきましょう。その代わり、一つ例を挙げるのでその立場に立って考えてみてください。

プロ棋士Aとプロ棋士Bの対局で神の視点ではAが必勝です。あなたは駒の動かし方しかわかりません。解説を聞いてもちんぷんかんぷんです。まずもって使われている単語の意味がわかりません。せっかく中継を見に来たのにちっとも楽しくありません。隣の人が見かねてこっそり教えてくれました。

  1. 神の視点でのすべての情報を聞いて、Aが勝つとわかる。
  2. 羽生善治の解説で、Aが勝ちそうだとわかる。
  3. 奨励会3段の解説で、互角だとわかる。
  4. トップアマの解説で、Aが勝ちそうだとわかる。
  5. ヘボアマの解説で、Bが必勝だとわかる。
  6. 聞いたけどやっぱり何もわからない。

さて、初心者であるあなたがもう一度対局中継に来てもいいかなと思うのはどれでしょうか。

おっと、あなたは初心者なので隣の人の実力は名前を聞いても肩書きを聞いてもよくわかりません。奨励会三段よりアマの四段が強いと思ってます。うっかりすると2段が一番弱くて1段が一番強いかもしれません。つまり実際は、

  1. いろいろ難しいことを言ってて、Aが勝つとわかる。
  2. なんか全然言ってることはわかんないけど、頑張って丁寧に話してくれて、Aが勝ちそうだとわかる。
  3. 結構無口でポイントしか言わないし、わかんないけど、互角だとわかる。
  4. なんかやけに目を輝かせて話してくれて、いや全然わかんないんだけど、Aが勝ちそうだとわかる。
  5. やけに簡単そうな「こんなの楽勝だぜ」というような言い方で理由は教えてくれなくて、Bが必勝だとわかる。
  6. 聞いたけどやっぱり何もわからない。

ということが起きました。さて、少なくとも最悪なのはどれ?
もう考えるまでもなく、6の「何もわからない」ですね。現状はこれに近いと思います。
何かの気の迷いで初心者がうっかりタイトル戦の中継を見に行ったら棋譜はあったけど何にもわかりませんでした。一応解説らしきものはあったけど、見てもわかりません。どちらが勝ってるかもわかりません。「難しい」と「互角」ってどう違うんですかね。指しやすいって何? 聞けば聞くほどちんぷんかんぷんで、初心者は見に来たことを後悔して帰って行きました。
さて、初心者は自助努力で有段者になってからタイトル戦の中継を見に来ないといけなかったのでしょうか?
プロ野球を見ている人の多くは野球なんて全然できなくて、将棋で言ったら初心者から級位者程度の人だと思います。将棋では中継を見ている人の多くは有段者以上でしょう。よくてペーパー初段以上。どこに違いがあるのでしょうか。
もしかして、初心者にはわからないことが将棋の魅力だとでも強弁するつもりですか?
中継を見に来ている人の割合は、プロから初心者までの棋力順にならべてみるとおそらく真ん中が多くなっていることは間違いないはずです。実際に調べてみて欲しいですね。少なくとも駒の動かし方がよくわからない人はまず見に来ないでしょう? わからないからですよ。
将棋の裾野を広げるには、何かの間違いでうっかり見に来てしまった初心者からペーパー初段の人にまた見に来てもいいかなと思わせればいいんです。有段者以上の将棋馬鹿なぞほったらかしにしておけばいい。
もう一度、上の1から6を見てください。初心者にとって1から5までの違いはどうでもいいことなんです。つまり解説や形成判断が正しいかは二の次なんです。わかった気になったか、ならなかったか。そこが一番大きな違いです。繰り返します。わかった気になったか、ならなかったか。それも辛気くさいお説教みたいな、あるいはユーモアたっぷりだとしても、30秒以上の長ったらしい解説を聞かないとわからないのではなく、一目でわかるような何か。

例えば、スコアボードを作ったらどうでしょうか。

深浦王位対局者羽生名人

手番
飛車(+3)駒割銀(-3)
3攻撃陣6
5守備陣8
11合計11
70手目中盤戦

形勢判断が多少間違っていても構わないのです。むしろ間違っていることを売りにしたら面白いかも知れません。対局終了後、形勢判断者の感想戦をやって懺悔したり、得意になったりしたらそれはそれで独特で目新しいコンテンツになると思います。あとで対局者に恨み節を言っても面白いかもしれません。むしろ間違っている方があとで一層面白いですね。もちろん対局者には一切わからないので結果にはなんらも関係しません。ただ見せ方が変わるだけで、将棋というゲームの本質には影響は与えません。タイトル戦などで複数の形勢判断者で違う意見を示したら見ている方も面白いでしょう。点数で出せば、平均点を計算することも簡単ですね。アマ高段者には判断が間違っていると駄目だと思う人もいるかもしれませんが、考える材料が増えるのは明らかにプラスだし、将棋馬鹿なら解説に頼らず自分で考えるのが一番楽しいんじゃないですか。今までの解説を残しておけばいいので、見たくなければ見なければすむだけの話。そもそもよく考えると現状の解説だって、明らかに優勢なのにまだ難しいとか「間違った」ことを言ってるんですよ、あとで恥をかきたくないが為に。どう違うんですか。
間違ったことを言って恥をかいたり、他の棋士の目が気になるというような、薄っぺらで安っぽいプライドが大事なら、失うものがなく、若気の至りでなんでもできる奨励会員を見付けてきて安いバイトでやってもらえばいい。事情はよくわからないので深く考えず思いつきで書くが、給料が少なくて困っているらしい女流棋士に普及費として手当をつけてもいい。間違っていることが売りに出来るなら羽生並みに強くなくてもいいし、大げさに言ったり控えめに言ったりなんでもできると思う。匿名でやる手もあるが、実名の方が面白くなると思います。最終盤まで50対50の点をつけたとしても、最後には白黒ついてしまうので、どこで形勢が傾いたか明らかにしないといけないというプレッシャーは大きいと思います。少しバラエティに寄りすぎですかね。
もっと短絡的にあるいは将棋ソフトの形成判断の数値を表示してもいい。サーバの負荷が増えすぎるなら、要所要所だけでもいい。将棋ソフトの宣伝広告にもなるから利害が一致するのでは。
形成判断なんて難しくてほんとか嘘かよくわからないうさんくさいものを示さなくても、たとえば駒割を点数化するだけでも十分用をなすと思います。歩が一点、香が二点、桂が三点というように点数をつけて、今駒割が何対何なのか表示するだけで初心者にはいいんですよ。そんなの一目瞭然じゃないかと思うかもしれませんが、わからないから初心者なんですよ。神から見たら、どっちが最後に勝つかも、どっちが今駒得してるかも同じ程度の情報だと思いませんか。有利になれば多くの場合、何手か進めば駒得という具体的な形になりますよね。最終盤では負けている方の駒台に駒がたくさん乗ることがありますが、それはグラフでもつけて流れがわかるようにすれば、急に傾いたから怪しいなと思うはずです。間違いようのない事実である手番と駒割の二つだけでも表にすれば初心者には理解のための大きな手がかりになりますよ。最初はわからなくても、何局か見ているうちに駒得が将棋の勝ち負けを決めるわけではないとわかるはず。それは将棋というゲームの最も大切な本質を理解したということになります、労せずに、自助努力で。
点数化して簡単に示せるなら、ちょっと外出先で携帯を開いて経過をみることだってできる。頭のなかで将棋盤が並ばない人でも、面倒なアプリを使わなくても、テキストのみで。ちょうどプロ野球でどっちが勝っているか見るように。
間口の狭い将棋の、その間口を広げることが「斜陽産業」には急務なのではないでしょうか。羽生がもう一度七冠になって永世七冠になって耳目を引いてもどうせ長続きしないですよ。幸運にも羽生や村山、渡辺、橋本、瀬川がいたからここまで生きながらえたわけで、けれどそれが長続きしなかったという現実をそろそろ受け入れても早すぎはしないだろう。何かの間違いでうっかり来た人を着実に捕まえればそれで十分なのではないか。そう思います。
プロ棋士になるぐらいの人々はどうやら生まれたときに既に有段者だったらしいので、初心者の気持ちを想像して考えてみることも時にはいいかもしれません。